ハリマ化成グループ

One Hour Interview

One Hour Interview

分子スケールナノサイエンスで使うスイッチング分子

松田建児

化学に携われる幸せ

研究でご苦労されているのはどういうことですか。

 苦労というより、嫌だなと感じるのは、論文をなかなか通してくれないときです。同じような成果を同時に発表したとき、海外の研究の方が大々的に報道され、結局向こうの成果になってしまうということもあります。そういうときは悔しいですね。そこは、研究者のコミュニティのあり方が違うところに一因があるのだと思います。欧米はそういうコミュニティが非常に密接で強く、それに比べると日本はちょっと弱い感じがします。

 でも、化学に携われているのは幸せなことです。野球選手は体力の限界がきたら引退しないといけませんが、化学は頭が働いているうちは何とかやっていけます。学生さんとディスカッションしていてもまだ負けませんし、いいアイデアを出すのも僕の方が早い。負けていないうちはまだ大丈夫です(笑)。自分を脅かすような学生さんが出てきたらうれしいですね。

これからの目標はいかがですか。

 まずはこの研究室を世界的なものにすることが僕の使命です。研究室を持った以上は一番でないといけない。そのうえで、自分の考えた分子を自由につくれて、性能も出せるようにしたいですね。松田の研究室に頼んだら、どんな分子でも設計してくれるといわれるようになったらすごいでしょうね。でも、それはなかなか…。

世界的な研究室にするための課題は?

 いろいろありますが、今真剣に考えているのは、学生さんのモチベーションをいかに上げるかです。やる気があればいい成果が出て、いい成果が出ればますますやる気になるというプラスのスパイラルをつくっていくことが大事だと思います。そこをなんとかしないと、日本は立ち行かなくなってしまいます。でも今の学生さんは負けず嫌いなところが減っているように感じます。将来のことを尋ねても「無難に生活できれば」と言う学生さんが結構います。こういう分野の研究は、頭の回転や成績がちょっといいより、負けず嫌いで根気のある人が伸びるのですが…。

先生ご自身は、いつ頃から化学に興味を持つようになったのですか。

 ウーン、自然とそうなっていたような気がします。小学生の頃科学雑誌の付録を見て自分で実験したりしていましたし、5年生の頃には電池を分解して二酸化マンガンを取り出し、オキシドールと混ぜて酸素をつくったりしていました。

5年生のときにそんなことを…。神童と呼ばれていませんでしたか(笑)。

 そんなことないですよ。むしろ危ない子どもと思われていたんじゃないでしょうか(笑)。いろいろなことに興味があり、理論物理学をかっこいいと思った時期もありました。でも、やはり理論だけではなく、現実を扱う化学の方がいいと思うようになったんです。その選択は間違っていなかったと今でも思っています。

京都大学大学院 工学研究科合成・生物化学専攻教授 松田建児[まつだ・けんじ] 1969年、奈良県出身。東京大学理学部化学科卒業。東京大学大学院理学系研究科化学専攻博士課程中退。東京大学、九州大学の助手を経て、2004年、九州大学大学院工学研究院応用化学部門助教授。2008年から現職。その間の2001年には米イリノイ大学に留学。2003年には戦略的創造研究推進事業の「さきがけ」研究者にも選任されている。休日はもっぱら家族と過ごす。

「第27回松籟科学技術振興財団研究助成受賞」

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