伝説のテクノロジー
伊達政宗が建造した船の復元に腕を振るった生粋の船大工
船大工 芳賀 亨
小さな船でもいいから技術を残していきたい
実は400年前もこの地方ではマグニチュード8クラスの大きな地震が起きている。伊達政宗が「船をつくって外国に使節を送る」と部下に伝えたのは、その地震からわずか2週間後のことだ。外国と通商を結ぶことにより、領内の経済を活性化して復興を促進しようと考えたものと思われる。苦難に負けず決然と前に進もうとする伊達政宗の精神は400年を経た今も脈々と受け継がれているのである。
今年は慶長遣欧使節の出帆からちょうど400年にあたる。その記念の意味も込め、サン・ファン館は11月3日に再開館される。サン・ファン号は今、それに向けての修復作業を急ピッチで進めている。残念ながらサン・ファン号が今後海上を走ることは難しいだろう。けれども、その優美で雄々しい姿は、きっと多くの人々を勇気づけることだろう。
ただ、問題は木造船をつくる技術の継承だ。たとえ小さくとも、木造の船を一からつくることのできる船大工は、20年前よりもっと少なくなっている。サン・ファン館には今、芳賀さんのもとで船大工の仕事を学んでいる職員がひとりいるが、新造船の需要はもはやほとんどないのが実情だ。
震災前、サン・ファン館では、子どもたちに船づくりを教えるワークショップを行い、芳賀さんも教えていたが、震災後は行われていない。
「大きな船の需要はもう期待できませんが、伝馬船のような小さな船でもいいから技術を残していきたいと思っています。あのときに来た子どもたちの中からひとりでも、木造船をつくれる船大工になりたいという子が出てきてくれたらいいのですが…」
それが芳賀さんの、今のささやかな夢である。
はが・とおる1937年、仙台出身。父親に勧められ、16歳のとき、塩竈で船大工をしていた叔父のもとに弟子入り。以来、木造船づくり一筋に歩んできた。現在は宮城県慶長使節船ミュージアムを管理運営する、公益財団法人慶長遣欧使節船協会の施設船舶課船舶業務員。
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