伝説のテクノロジー
伊達政宗が建造した船の復元に腕を振るった生粋の船大工
船大工 芳賀 亨
辛いことばかりだった修業時代
それから約380年後の1990年、サン・ファン号を復元しようという気運が宮城県で盛り上がった。宮城県の歴史に輝く偉大な業績のサン・ファン号を復元することで地域の活性化を図ろうというのが目的であった。そして復元が正式に決まると、石巻に県内の船大工、大工、技術担当など約40人が集まった。その中に芳賀さんの姿もあった。
芳賀さんは10代の頃、親方のもとで厳しい修行時代を過ごした。当時は、大きな釜で湯を炊き、蒸気を板に当てて曲げる方法がとられていた。芳賀さんはよく窯の火焚きをさせられた。夏場などは猛烈な暑さの中での作業になる。だが、そういうやり方だと、板がうまく曲がらずに折れてしまうこともよくあった。そのたびに芳賀さんは親方から頭をはたかれた。
「おもしろいことなんて、何もなかった。もうやめようと何度思ったことか」
当時を振り返って芳賀さんは言う。
それでも芳賀さんは船大工をやめなかった。親方のもとでの修業を終えた後は、全国を渡り歩くようにして各地の造船所で働いた。サン・ファン号を復元するために、船大工を募っているという話を聞いたのは、石巻の造船所に勤めているときのことだった。
「木造船が懐かしくて応募した」という芳賀さんは、当時55歳。下から2番目に若い方だった。