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伝説のテクノロジー

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伊達政宗が建造した船の復元に腕を振るった生粋の船大工

船大工 芳賀 亨

「ハダ打ち」だけで3ヵ月

板と板の隙間に縄を入れていく「ハダ打ち」。隙間によって入れ方を微妙に加減する。

 木造の大型船が建造されたのは、1960年代まで。船づくりでは鉄船が中心になり、一見木造に見える船もたいていは鉄やFRPの外側に木をはったものだ。芳賀さんが木造船を懐かしいと思った背景には、そういう時代状況があった。だから今は船大工といっても、鉄船の甲板などをつくる仕事が主で、芳賀さんのように昔ながらの木造船を一からつくった経験のある職人は極めて少ない。20年前にサン・ファン号復元のために集まった船大工たちでさえ、そういう経験のある人は3分の1程度しかいなかった。だから芳賀さんは2番目の若さでありながら、3つに分けられた班の中で、右舷班の責任者に指名された。

 サン・ファン号復元に際しては、400年前の姿に徹底してこだわる方針が貫かれた。キャッチフレーズは「今世紀最後で最大の木造船」。メインマストとフォアマストはベイマツ、ミズンマストはスギ、肋骨はアカマツ、キールはベイマツというように、用途や大きさなどに応じて最適と思われる種類の樹種が選ばれた。もちろん外板を取り付けた後、「ハダ打ち」の作業も行われた。復元したサン・ファン号に使われた外板は厚さが約9センチメートル。船底から甲板まで、使われた外板は膨大な量におよび、「ハダ打ち」の作業だけで約3ヵ月もかかった。

 「一番大変だったのは舳先にバウスプリットという柱を斜めに取りつける作業でした。2台のクレーンを使い、私がトランシーバーで指示したのですが、なかなかうまくいかず、最後はチェーンブロックにロープをつけて引っ張るようにして、何とか納まりました。クレーンなんてない400年前にいったいどうやったのか、ちょっと想像がつきませんね。でも、ハダ打ちは、私たちの方が出来がよかったと思います。普通は水に浮かべると船底から浸透した水が10センチメートルくらい溜まるものですが、このときは1センチメートルくらいでした。つくった自分たちがびっくりしたくらいの、まさに会心の作でした」

 そういって、芳賀さんはちょっと自慢げな笑みを浮かべた。

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