伝説のテクノロジー
伊達政宗が建造した船の復元に腕を振るった生粋の船大工
船大工 芳賀 亨
サン・ファン号を復興のシンボルに
こうして復元されたサン・ファン号は、1993年5月、進水式を行い、その年の10月から一般公開を開始。1996年にはサン・ファン号専用のドックを備えた「宮城県慶長使節船ミュージアム」(愛称:サン・ファン館)と隣接する公園施設「石巻市サン・ファン・バウティスタパーク」もオープンした。その間、地元では「サン・ファン祭り」なども開かれ、サン・ファン号は当初の目的であった地域活性化に大きく貢献。東京や仙台、気仙沼などを目指し外洋に出ての曳航も何度か行った。その間も芳賀さんは、腐食したり破損したりした外板の補修や塗装などのメンテナンスをこつこつと続けていた。
だが、復元されてから18年後の2011年3月11日、東日本大震災の巨大津波がサン・ファン号を襲った。ドックに係留中だったサン・ファン号は強い引き波にもかかわらずドックの外に流されずに、外板が破損する程度の損傷で済んだ。地震から1週間後、避難所からようやく様子を見に行くことができた芳賀さんは、ほっと一息をついた。
「あの津波で倒れることなく、ドックの外に流されなかったのは奇跡的でした」
しかしその喜びもつかの間、震災から1ヵ月半後の4月27日から28日にかけての夜間、石巻一帯は暴風雨に見舞われ、サン・ファン号はメインマスト上部トップマストとフォアマストが折損するという致命的なダメージを受けたのである。復元から20年近くが経過し、木造船としてはすでに老境の域。修復不可能であるかのようなその姿を見て、関係者の間には深い絶望感が広がった。
だが、宮城県や、サン・ファン号を管理する公益財団法人慶長遣欧使節船協会は、震災からの復興のシンボルとしてサン・ファン号の修復を決断する。