ハリマ化成グループ

次代への羅針盤

次代への羅針盤

若さゆえの荒々しさがほしい

木野邦器

新しい可能性に挑む

 そのとき私は42歳でした。その年齢で民間企業からアカデミアに転じるというのは、あまりないことだと思います。しかし、早稲田大学の教員の定年は70歳です。とすれば私もあと30年くらいは研究に打ち込むことができます。それならもう一度、新しい可能性に挑んでみたい、そう思って私は早稲田大学に戻ることにしたのでした。

 定年まであと3年を残すだけになった今、私はあのときの決断は正しかったと確信しています。

 早稲田大学の創始者、大隈重信は実学を重んじています。大学の知を社会に還元するのは大学の使命の一つだとも語っています。早稲田大学では、その精神を受け継ぎ、理学と工学を一体化した教育研究を行うことが効果的だとして理工学部を早くから設置しています。現在では、研究の成果を具体的な形で社会に実装していくことを目的に、多様な産学連携活動が積極的に展開されています。

 早稲田大学の大学院博士前期課程を修了した私が民間企業を選択したのも、企業という現場で実学を学ぶことに大きな魅力を感じたからでした。このときの決断も私にとっては間違っていなかったと考えています。

 また、大学に戻ってから国立研究開発法人科学技術振興機構研究開発戦略センターのシニアフェローとして3年間兼職したことも大きな経験でした。ここは、科学技術イノベーション政策を独自の調査・分析を踏まえて科学技術戦略を提案する国のシンクタンクで、多くの研究者らとの交流や最先端の研究を通し、国の枠を超えて多様な価値観を広く学ぶことができました。

 産・学・官での経験は、その後の私自身の展開の大きな糧になっています。

次のページ: 製造現場での貴重な経験

1 2 3 4 5 6