ハリマ化成グループ

次代への羅針盤

次代への羅針盤

若さゆえの荒々しさがほしい

企業で20年近いキャリアを積んだ木野邦器氏。
その経験をベースに企業と大学の人材交流の活性化を提言する。

Kuniki Kino

木野邦器

早稲田大学理工学術院 教授

企業からアカデミアへ

 私が早稲田大学に戻ってくる1年ほど前の1998年の3月だったと思います。日曜日の夜、自宅で入浴をすませくつろいでいたとき、学生時代の恩師から電話がありました。「木野君に私の後任として大学に来てもらうつもりでいるから」

 受話器を取ると先生はいきなりそうおっしゃいました。「大学に来てほしい」とか「考えてみてくれ」ではなく、「来てもらうつもりでいる」ですから、驚きました。この先生らしいといえばそうなのですが、私にしてみればまさに青天の霹靂でした。

 当時、私は協和醱酵工業(現協和発酵バイオ)の社員でした。仕事は面白く充実していましたし、研究者を大切にしている会社で待遇面などでの不満もありませんでした。むしろ大学に行けば給与が下がるのは確実でした。アカデミアで活躍している優秀な人がほかにいるだろうとも思いましたが、1年後、私は恩師の強い思いを受け、新たな夢と覚悟を持って早稲田大学に移りました。

 私は幸いにも大学の研究室在籍時に論文をすでに数報発表していたので、大学院修了後、その研究成果をもとに学位を取得することができました。企業では、特許も国内外でおそらく100件近く出願したでしょうか。しかし、実生産を目的とした開発研究に従事していたため、そこでの研究成果を社外で発表する許可はなかなか得られず、論文として発表する機会もほとんどありませんでした。一方、いくつかの大学で出前講義のようなことをしたことがあり、そのとき、企業では味わったことのない新鮮さと喜びを感じることがありました。恩師に声をかけていただいたとき、自分が取り組んできたことを教育という形で若い人に伝えることの素晴らしさと、自分自身の新たな境地での成長の可能性を感じて大学への転職を決めました。

次のページ: 新しい可能性に挑む

1 2 3 4 5 6