次代への羅針盤
人体は小さな化学プラント
酒井清孝
そんな研究はやめなさい
しかし、学問の世界ではそうしたことはなかなか理解されませんでした。人工臓器の研究を始めて数年後の1970年代半ば、化学工学会で研究発表を行いましたが、私のグループの仲間と他大学の座長以外はひとりも出席していませんでした。化学工学会の研究者たちは、人工臓器に全く関心を示さなかったのです。
化学工学と人工臓器はどんな関係があるのか――。私たちに対してしばしば、そんな批判めいた言葉が投げかけられました。
化学工学と関係のないそんな研究はやめなさい――。私は恩師からもそう面罵されました。
そういう状況が10年近く続いたと思います。でも私は人工臓器の研究をやめませんでした。
化学工学会で発表した数年後に、今度は日本人工臓器学会で研究成果を発表する機会がありました。この学会は医師の方々が中心で、私にとってはいわばアウェーでしたから、そこで発表することには勇気が必要でした。ところがこの学会では多くの出席者が熱心に私の発表を聞いてくださり、質問も数多く受けました。そして私は、私たちの研究成果を必要としている患者さんたちがいることを実感し、医師ではない私たちの力で救える命があることを知りました。この経験があったから、私は悔しい思いを堪えながら研究を続けることができたのだと思います。
その頃、医師の方からこんなことを言われました。
「君たちはいいな、研究に見込みがないと分かればやめればいいのだから。私たち医師は、もう見込みのない患者でも最後まで努力を続けないといけない。負けると分かっている仕事でもやらないといけないんだよ」