ハリマ化成グループ

蓋のつまみが松笠の鉄瓶繰くり口くち柚ゆ子ずアラレ1.6Lは、鉄瓶職人小野竜也さんの作品。後ろの年代物の法被は及源鋳造の屋号を染めたもの。

伝説のテクノロジー

鋳肌の美しさと強さ

東北を代表する工芸品の1つである岩手県の南部鉄器。
及源鋳造は伝統を大事にしながら、
その南部鉄器に新たな息吹を与えている。

及源鋳造
代表取締役・及川久仁子さん

デザインで際立つ

 南部鉄器には、大きく2つの産地がある。1つは、南部藩に由来して南部鉄器と呼ばれるようになった盛岡市。もう1つは、岩手県の南部に位置し、江戸時代には伊達藩領であった奥州市水沢である。

 水沢の南部鉄器は平安後期、江刺郡にいた藤原清衡が近江の国から鋳物師を呼び集めたのが始まりとされている。実に900年以上にわたり脈々と受け継がれてきたことになる。その鋳物師たちの一部が、清衡が拠点を平泉に移した後も、羽田村(今の水沢羽田町)にそのまま居ついたことで、水沢が南部鉄器の産地となった。水沢は、北上山地の砂鉄や木炭、河川跡から出る質のいい砂や粘土など、鉄器の鋳造に必要な材料が得やすく、条件がそろっていたのである。

 及源鋳造はその水沢で1852年に創業した老舗である。従業員数は約70名。水沢鋳物工業協同組合には60社が加盟しているが、従業員数50名以上のところは数社しかなく、及源鋳造は、地元では大手の部類に入る。

鉄瓶の外型の型づくりをしている鉄瓶職人の小野さん。和紙に描いた下絵をもとにして、ヘラで押して模様をつける。

 160年以上におよぶ及源鋳造の歴史には、いくつかの節目となる時期や出来事があった。高度経済成長時代が終わる頃にも、1つの転機が訪れた。及川久仁子社長がこう明かす。「先代社長の時代のことですが、その頃大きな設備投資をして、直後に石油ショックが起きました。ただ、ほぼ同じタイミングで外部のデザイナーと契約し、彼のデザインしたものがよく売れたんです。それで石油ショックのダメージをそれほど受けずにすみ、よその製品と完全に差別化できるようになりました」

 及川さんによれば、それまで南部鉄器の鍋や釜は、どこの製品もデザインに大差がなかったという。しかしデザイナーが入ったことで及源鋳造の製品にはテーブルウェアとしての視点が加わり、鍋の深さはどれくらいがどんな料理に適しているかといったことまで考えられるようになった。サイズも大中小をそろえるなどした。しかも実用一点張りではなく手のぬくもりを大切にしたデザインにすることで、非常に特徴のある製品になったのだ。最初に契約したデザイナーとは今も付き合いが続いている。また現在は社内にも2人のデザイナーがいる。

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