伝説のテクノロジー
焼物の実用の美を求めて
やちむんやちゃー 作陶家・松田米司さん
土練り3年、轆ろくろ轤7年
やちむんの里には北窯でつくられた食器や壺などを販売する売店がある。その一角に「弟子募集」の紙が貼られていた。昨年、2人の弟子が独立し、今、松田さんは5人の弟子を抱える。そのうちの1人は、長男の健悟さんだ。焼物の修業は、土練り3年、轆轤7年とも言われる。つまり最低10年はかかるということだ。実際はもっと長いかもしれない。決して楽な仕事ではない。それでも9年前、健悟さんが米司工房に入ってきたときは「素直にうれしかった」と松田さんは相好を崩す。
「使いやすくて優しい焼物をいかにつくるか、口で伝えるのは難しいものです。とにかくたくさんつくるのが一番。私自身、窯から出したときにはいいものができたと思っても、3日もすると、もっとこうすればよかったと思うようになります。でも、そんな思いを引きずっていたら前に進めません。そんなことを思う暇があったら土をこねたほうがいい」
北窯の火入れはおよそ3日3晩続く。その間、4人の親方はそれぞれの弟子たちとともに交代で24時間、火を守る。疲労がピークに達するのはこのときだ。そして火が消え、窯の中を冷ます間の4日間は休息期間となる。窯出しをしたらまた土づくりから始めて轆轤や絵付けの作業に入り、しばらくすると次の火入れ式の準備に取り掛かる。
北窯の人たちは、日々やちむんと格闘しながらそうしたサイクルに心地よさを感じているようにも見える。
その北窯から車で10分ほどにある次女の七恵さんが経営するカフェには、松田さんの作品が展示されている。「私は父のつくったものを売ることで焼物に関わることができました」と七恵さんは語る。
北窯の4人の親方たちの弟子には20代の若い人が多い。そしてこのカフェも若い世代が支えている。
あたかも梁山泊に集ったものたちのように、北窯に集い、やちむんづくりに精魂を傾け、少しでも多くの人にやちむんを知ってもらおうと努め、琉球焼物の伝統を守りながら新しい伝統を築き上げていく。北窯の人たちのそうした生き方そのものに、新しい文化の息吹が感じられた。
火守りの合間に昼食をとる米司工房の皆さん。親方を中央に左が息子の健悟さん。
まつだ・よねし 1954年、沖縄県生まれ。1973年、首里の石嶺窯にて大嶺實清氏に師事。その後1979年より「大嶺工房」にて修業。1992年に県内最大級である13連房の北窯を開く。ロンドンで個展を開催したこともある。20歳のときに洗礼を受けたクリスチャン。2016年に大病を患ったが、リハビリを経て回復した。
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