伝説のテクノロジー
日本最古の芸能祭典を司る
宮司 花山院弘匡さん
神が降臨した影向の松
そのコースの途中、影向の松の前に行列が差し掛かると行われるのが、松の下式という神事である。猿楽座や田楽座などがそれぞれの芸能を奉納する。
「神様に喜んで頂くために芸能を奉じるのですが、900年近く続いているので、今ではここにしか残っていない芸能もあります」
と花山院宮司は話す。たとえば細男(せいのお)は、白い浄衣を身にまとい、顔の下半分を白い布で覆った6人の舞人が小鼓を打ち、笛を吹きながら舞う最古の舞のひとつである。筑紫の国で始まったと伝えられているが、平安時代には京都でも盛んに舞われていたものの、春日大社に残るのみである。
影向というのは、神様が一時的に姿を現すという意味で、つまり影向の松は、神様が降臨したと伝えられる松なのである。春日大明神が影向した松は、延慶2年(1309年)の春日権現験記にも記されている。立派な影向の松は、残念ながら1995年頃に枯れてしまい、今は後継の若い黒松となっている。能舞台の背景には必ず松の木が描かれているが、それは能の源流である猿楽が春日大社の影向の松の前で平安時代より舞ったことに端を発している。
お渡り式の列がお旅所の御仮殿へたどり着くと、再びここで芸能が奉納される。これは「お旅所祭」と呼ばれる神事で、御仮殿の前には9メートル四方ほどの広さの芝舞台が設えられる。芝居という言葉は、芝の上に居て芸能を奉じるこの神事に由来しているという。
この神事は午後3時過ぎから夜の11時近くまで行われる。神楽、田楽、猿楽、細男、舞楽などの芸能が次々と奉納される様は、まさに日本の芸能史を目の当たりにするような圧巻の光景である。