伝説のテクノロジー
1100年前の駅舎を甦らせた保存・復原の技術
建築家 田原幸夫さん
津波に襲われたスレート工場
屋根に使うスレートは、戦後の工事で宮城県、登米(とめ)産などの天然スレートが使われていた。だが今は国内の生産量が少ないので、一部はスペイン産の天然スレートを使うことにし、残りは登米産のスレートを再利用するとともに、創建時に使われていた雄勝産の天然スレートも一定量だけ新たに発注した。
それらのスレートは加工が必要なこともあり、石巻のスレート工場で保管していた。そしていよいよあと1週間で発送というときに、あの大地震と巨大津波がスレート工場を襲ったのだった。
幸い、保管していたスレートの約65%は使うことができたが、地震直後はさすがの田原さんも「もう無理だ」と思ったそうである。
ともあれ、多くの困難を乗り越え、丸の内駅舎は創建時の姿を再び見せることができるようになった。だが、その一方で戦後、壊されてきた歴史的建造物も多い。
「丸の内駅舎も実は過去に何度か、高層ビルに建て替えるという話が出たことがあります。歴史的な建造物を残すことが経済的なメリットにつながればいいのですが、一般的にはなかなか難しい。このままでは大正、昭和の歴史が消えてしまいかねません」と田原さんは危機感をあらわにする。
文化財として復原され、今もなお使われ続け、しかも多くの観光客を呼ぶ原動力にもなっている東京駅丸の内駅舎。その素晴らしさ、価値に人々の注目が集まることで、大正・昭和の優れた建造物がどんどん消えていく動きに歯止めがかかることを願うばかりである。
たはら・ゆきお 1949(昭和24)年、長野県生まれ。京都大学工学部土木工学科・同建築学科卒業。日本設計事務所に在籍中の1983年、ベルギー政府のフェローとしてルーヴァン・カトリック大学大学院の保存修復専門課程に留学。ユネスコ世界遺産「グラン・ベギナージュ」の保存活用設計に従事した。その後、日本設計に戻り、歴史的建造物の保存活用設計に携わっていたが、丸の内駅舎のプロジェクトを担当するため2003年、ジェイアール東日本建築設計事務所に移籍。設計監理総括の任に就いた。現在は京都工芸繊維大学大学院特任教授。著書に『建築の保存デザイン』(学芸出版社)、『世界遺産フランダースのベギナージュ』(彰国社)など。
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