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伝説のテクノロジー

1100年前の駅舎を甦らせた保存・復原の技術

昨年、開業100周年を迎えた東京駅の丸の内駅舎。明治・大正時代の建築家、辰野金吾が設計したこの駅舎は
2012年に大規模な保存復原工事を終え、創建当時の姿を再び現した。重要文化財に指定された建物を、駅舎として毎日使いながら復原する工事は、多くの困難をともなった。施工中に東日本大震災が起きるという想定外の困難にも直面した。古い建物がどんどん壊されていく中で、歴史的建造物をどのようにすれば守っていくことができるのか。
丸の内駅舎保存復原の設計を担当した田原幸夫さんは、その問いにひとつの回答を示したのである。

建築家 田原幸夫さん

戦災で姿を変えた東京駅

南北のドームには8つの干支をはじめ、鷲や剣などのレリーフが復原されている。

 今、東京駅の丸の内口には連日、大勢の観光客が訪れている。海外からの観光客も少なくない。丸の内駅舎を見上げ、壮麗な姿に感嘆の声を上げ、そして駅舎を背景に写真を撮る。駅自体が観光スポットになっている珍しい光景が、そこかしこで見られる。

 辰野金吾が設計した東京駅丸の内駅舎が竣工したのは1914年、第1次世界大戦が始まった年のことである。辰野は、日本銀行本店など多くの名建築を設計したことで知られる日本近代建築の巨匠。鉄骨レンガ造りの駅舎は堅牢そのもので、関東大震災のときもほとんど無傷であった。だが、1945年5月の空襲で屋根や内装の多くを焼失。終戦直後に行われた復興工事により、失われた南北のドーム屋根を八角屋根に変更し、2階建ての駅舎として使われるようになった。以来約60年、丸の内駅舎は創建当時とは違う姿のままであった。

 その丸の内駅舎を創建当時の姿に復原し、保存しようとJR東日本が基本調査を始めたのは2002年のこと。2003年5月に国の重要文化財に指定されたことで、その動きはさらに加速した。そしてこの大プロジェクトの設計を担当することになったのが当時、日本設計に勤務していた田原幸夫さんであった。田原さんは、日本の建築家としては数少ない歴史的建造物保存修復の専門家だ。

東京ステーションホテル、客室階からゲストラウンジへ上がる回り階段。当初、エレベーターと小さな階段室で計画していたが、工事中に創建時の鉄骨階段と判明したため、保存・活用する設計に変更された。

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