伝説のテクノロジー
日本庭園文化を世界に伝えるために
小杉造園株式会社・小杉左岐さん
技能五輪国際大会で金メダルを獲得
そこで小杉さんは一大決心をする。静岡県の熱海にあった企業の保養施設を買い取り、自社の研修所にしたのである。
「やる以上は勝つことを目指し、そのための努力、工夫を惜しまない。それが私の考え方です。それに造園業にとって社員は一番の財産です。だから研修所で英才教育を施すことにしたのです」
社内の反対を押し切って総額約1億円を投じて熱海に研修所をつくったのは2003年。そしてその努力が実り、2007年の日本大会では、同社の社員が見事金メダルを獲得したのであった。
しかも技能五輪の場で海外の人と接する機会が増えた小杉さんは、海外にある日本庭園に強い関心を持つようになった。もともと海外旅行によく行っていた小杉さんは、それ以来、旅行先に日本庭園があると聞くと、必ず見に行くようになった。そして、海外の日本庭園の多くが荒れているという厳しい現実を知ることになる。造園するときは日本から職人が行って、ていねいに指導して造ることが多いのだが、維持管理のことまでは教えていないケースが少なくないのだ。そのため小杉さんは、機会あるごとに、海外の日本庭園を維持管理するための助言をするようになり、さらに日本の庭園文化の普及にも努めるようになっていった。
「日本庭園には、限られた場所に自然を凝縮して表現する素晴らしい技術と文化があります」
そうした地道な活動が実を結び、2009年にはついにアゼルバイジャンの政府から欧州の造園協会経由で、同国のイスマイリ州に日本庭園を造るように依頼されたのである。
「当初は庭造りの指導を引き受けたつもりでした。しかし、工事がなかなか進まないので、最後はうちの社員と一緒に1ヵ月間、現地に張り付いて作業しましたよ」
こうして出来上がった須弥山の日本庭園の広さは約2,650平方メートル。同国のイルハム・アリエフ大統領が訪れたときは、小杉社長が自ら大統領を案内し、三尊石の中央にある一際大きい石について「あれは大統領が国民を見守っている姿です」と説明すると、アリエフ大統領は三尊石の近くまで登って大喜びしたという。
以後、小杉造園には海外からの発注が少しずつ増えていった。2010年には韓国で開かれた京畿庭園文化博覧会で「友情の庭」と名付けられた日本庭園を造営した。戦後、韓国で日本庭園が造られたのはこれが初めてであった。
「アゼルバイジャンではその後、労働福祉大臣の庭も造りましたし、今また別の仕事が入っています。バーレーンにも営業のため、社員を行かせています。キューバでは20年前に造られた日本庭園が荒れているので、修復して欲しいと頼まれています。来年はアンゴラやベネズエラにも行かないといけません。文化芸術に東西の区別はありません。私は日本の庭園文化や日本の文化芸術を世界に広げたいと思っているのです」