伝説のテクノロジー
靴修理
靴職人・村上塁さん
師の跡を継ぎ店の2代目に
以後、村上さんはハドソン靴店に通い、靴づくりを教わった。同店には、同じように靴づくりを学びに来ている若い職人が何人もいた。
かつて、靴業界では親方が食と住の面倒を見ながら職人を育てる徒弟制度があった。しかし1960年代には靴も大量生産の時代に入り、徒弟制度は崩壊した。それでも佐藤さんは自分が徒弟制度で育てられたことに恩義を感じ、若い職人を自らの手で育てていた。
佐藤さんの下で靴づくりを学んだ村上さんは、一人前になると浅草の靴メーカーに就職して念願の靴職人となった。だが、給料は驚くほど安い。別の道を模索するという考えも、頭に浮かび始めた。そんなとき、師匠の佐藤さんが亡くなったという知らせが入った。
「先代に師事した人はたくさんいましたが、店を継ごうとする人はいませんでした。靴職人として独立して稼いでいくのは難しい時代になっていましたし、店の立地が悪かったからでしょう」
しかし村上さんは「このまま靴職人をやめるのはもったいない。もう少しあがいてみよう」と決意。ハドソン靴店を継ぐことを決めた。