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伝説のテクノロジー

消えかけた国産線香花火の灯を守る

かつて国産の線香花火が消滅の危機を迎えたことがあった。
安い輸入品に押されて、最後に1社だけ残った国産メーカーが廃業することになったのである。
その危機を見かねて立ち上がったのが、筒井良太さんだった。
技術と道具を受け継ぎ、自ら線香花火づくりに取り組んだのである。
そして現在、筒井時正玩具花火製造所がつくる線香花火は贈答品としても重宝される一方、
都心のアパレル店や雑貨店などでも売られ、日本の夏に鮮やかな彩りを添えている。

花火製造職人 筒井良太さん

一番地味で、一番派手な花火

 近所の子どもたちが集まって、庭先や路地で開かれるささやかな花火大会。最初に火をつけるのは、たいてい線香花火。そして最後に火をつけるのも、やはり線香花火だ。

 真っ赤に燃えた小さな玉からパチパチッと音をたてて火花が飛び散る。周りを囲むように集まった子どもたちは、黙ってその火花を見つめる。やがて火花が出なくなり、真っ赤だった玉も炭のように黒くなる。そしてしばしの静寂のあと、子どもたちはそれぞれの家へと帰っていく。

 なんとなく物悲しい気分を残して、小さな花火大会はそうして終わるのだった。

 たいていの人が、子ども時代にそんな経験をしているのではないだろうか。花火は日本の夏の風物詩。線香花火はその中でも一番地味で、でも、一番華やかな花火だった。

 10年ほど前、国内で線香花火をつくっているメーカーは1社しかなかった。だが、最後に残ったその1社も廃業することになった。1970年代半ば頃から安価な輸入品が市場に出回るようになり、国産の線香花火は価格で対抗できなくなっていったのだ。

 「これで国産の線香花火はもうなくなってしまう」

 花火業界ではそんな声がささやかれていた。

 江戸時代に生まれた線香花火は、日本独自の花火である。火をつけると、どんどん丸く大きくなっていく赤い玉は、花を咲かせる前の「蕾」と呼ばれる。やがてパチパチッと力強い火花が飛び散る状態は「牡丹」、さらに勢いを増して火花が大きく飛ぶ状態は「松葉」と呼ばれる。そして火勢が衰え、火花も弱くなっていくと「散り菊」と称される。線香花火がそうして変化していくさまは、人の一生にもなぞらえられる。生まれ、育ち、成熟し、そして晩年を迎えるというわけだ。

 「江戸時代から続く日本の伝統文化ともいえる線香花火の灯を絶やしてはいけない」

 筒井時正玩具花火製造所の3代目に生まれた筒井良太さんの心の中で10年前、赤い火が灯った。当時、筒井さんは廃業を決めた製造所を手伝っていたのである。

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