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伝説のテクノロジー

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手描きの鯉のぼりづくりに挑戦し続けてきた50年

鯉のぼり職人 橋本 隆さん

自己流で身に付けた手描きの技法

 そうして出来上がったものを持ち寄り、品評会を開いた。「目玉はこれがいい」「うろこはこの方が美しい」とそれぞれの作品のいいところを褒め合ったのである。そして「いいところを集めたら、きっと素晴らしい鯉のぼりができる。だからみんなで協力し合ってつくってほしい」と提案したのだった。

 一方で橋本さんは職人たちの作業を見ながら、見よう見まねで手描きの技法を修得していった。現在、橋本さんは埼玉県認定の伝統工芸士だが、驚いたことにその技法は自己流で身に付けたものなのである。

鯉の目を描く目廻し(めまわし)用の手製のコンパス。目の大きさは鯉の大きさに比例して決められている。

 だが、それでも手描きの鯉のぼりが売れることはほとんどなかった。橋本さんは金策に奔走し、職人はどんどん減っていき、とうとう橋本弥喜智商店に残ったのは橋本さんの家族だけになってしまった。

縫製作業。ロール状に巻かれた木綿布の背ビレを縫い込み、袋状に縫い上げる。

 そんなある日、横浜の老婦人から「手描きの鯉のぼりをつくっていると聞いたので、ひとつ譲ってほしい」と電話で注文が入った。そして以後、同じような注文がときどき来るようになった。冒頭で触れた千葉県から来た高齢の男性客も、そのひとりであった。

 それからしばらく経った夏、「まだ手描きをやっているんだって」と言いながら、ひとりの新聞記者が訪ねてきた。数日後、その記者が書いた小さな記事が新聞に掲載された。

薄墨といって、墨で筋書きしたところに顔料を塗り込む。

「伝統の手描き鯉のぼりも今や風前の灯」というトーンの記事だった。だが、そんな記事でも人目に触れれば反響を呼ぶ。やがて今度はテレビ局が取材に来た。そしてその放送を見て、今度は別の新聞社が取材に来た。

 こうしてたびたびマスコミに取り上げられるようになってくると、人々の関心も集まる。その影響で、橋本弥喜智商店に直接、買いに来る客がどんどん増えていった。おかげで橋本さんは、客の意見や要望を直接聞くことができるようになった。問屋に卸していたころにはできなかったことである。

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