伝説のテクノロジー
手描きの鯉のぼりづくりに挑戦し続けてきた50年
一度は諦めた手描きの鯉のぼりづくり。
だが「うちがやめたら手描きの鯉のぼりがこの世からなくなってしまう」と考えた
橋本隆さんは、もう一度チャレンジすることにした。
それも100年後、200年後、博物館に堂々と展示されるようなものを目指して。
以来、橋本さんは、風をはらんで泳ぐ鯉のぼりがいつか龍に化身し、大空に飛翔することを夢見て「次はもっといいものを」と自らを奮い立たせてきた。
鯉に恋して50年、今もその夢は諦めていない。
鯉のぼり職人 橋本 隆さん
「これが欲しかったんだ」と客が絶叫
橋本隆さんは30年程前の出来事を、今でも鮮明に覚えている。
ある日、手描きの鯉のぼりを求めて高齢の男性がわざわざ千葉県からやってきた。当時は化繊の生地に模様を印刷した鯉のぼりが市場を席巻し、橋本弥喜智商店も手描きの鯉のぼりは空いた時間を利用してごくわずかつくる程度だった。それでも昔ながらの手描きの鯉のぼりを求める注文がポツリポツリと入っていた。千葉から来た男性もそんな客のひとりだった。ところがもともと数の少なかった手描きの鯉のぼりは、このときすでに在庫がなくなっていた。申し訳なさそうに橋本さんはそう説明し、頭を下げた。だが、その男性はそれでも諦めず、ずかずかと2階の作業場まで上がり込み、職人を見つけると「今からひとつ、つくれ」と無理難題を吹っ掛けてくるではないか。ほとほと困り果てた橋本さんはその瞬間、はたと思い出した。自分で考えたような絵が描けなかったため、倉庫の棚の奥に放り投げた鯉のぼりがひとつあったことを。急いで倉庫まで行く橋本さんの後を、男性客もついてくる。そして橋本さんが棚から取り出したその鯉のぼりを差し出すと、奪い取るようにして広げ、「これだ、これが欲しかったんだよ」と破顔一笑した。それまで鬼のような形相だった客が、そのときはまるで仏様のような柔和な笑みをたたえていた。
鯉のぼりを入れた風呂敷包みを大事そうに小脇に抱え、帰っていくその客の後ろ姿を見送りながら、橋本さんは思った。
「こんなに欲しがってくれるお客さんがいるなら、もう一度、頑張って手描きの鯉のぼりをつくろう」と。