ハリマ化成グループ

伝説のテクノロジー

色、形、光、音、リズムを駆使して花火大会を演出

江戸年間から続く花火の老舗・宗家花火鍵屋。
その15代目当主の天野安喜子さんは花火の演出に音楽を取り入れて、
江戸川花火大会などをより一層印象深いものにしている。
男の世界に飛び込んで、辛い思いをしたこともあったが、
花火師になったことを悔やんだことはただの一度もないという天野さん。
日本独自のわびさびの文化や伝統を守りながら、
花火の世界に新しい道を切り開いていくことを目指し、
今年もまた夏の夜空に大輪の花を咲かせようとしている。

宗家花火鍵屋15代目
当主・天野安喜子さん

350年の歴史で初めての女性当主

 1659(萬治2)年というから、徳川四代将軍・家綱の時代のことである。初代・弥兵衛が奈良の篠原村から江戸へ出て、日本橋の横山町に店を開き、葦の管に火薬玉を入れて売り出したところ、飛ぶように売れた。これが宗家花火鍵屋の始まりである。花火を打ち上げたとき「鍵屋~」と声がかかるのは、この鍵屋に由来している。ちなみに「玉屋~」というのは、鍵屋の7代目の番頭が暖簾分けして店を開いた際に用いた屋号である。つまり、江戸の花火の歴史は、鍵屋の歴史そのものといっても過言ではない。

 天野安喜子さんがその鍵屋の15代目を襲名したのは、2000年1月のこと。鍵屋350年の歴史で初めての女性当主である。

 「小学2年生のときに、自分が父の後を継ぐと言いました。実際に継いだのはそれから25年後くらいですが、その間に迷ったり気持ちが変わったりするようなことは一切ありませんでした」

 凛としたたたずまいの天野さんが、はっきりした口調でいう。

 鍵屋には、江戸時代の花火の製造法などについての口伝を書き残したものが代々伝わっている。天野さんによれば初代の頃は狼の糞や枯れ草などを混ぜて乾燥させたものを丸めて火薬代わりに使い、火を着けた花火を手で持って楽しむものだったという。今のようにどこから見ても丸く見えるように開く打ち上げ花火が登場したのは、明治以降のことだ。

 鍵屋もかつてはそうした花火の製造をしていた。しかし天野さんの父親である14代目の天野修さんは「これからは演出の時代になる」と考え、打ち上げと演出を主体にする経営に切り替えた。そのため現在、鍵屋は花火の製造をしていない。ただ、天野さんは、花火づくりを知らないといい演出ができないし、花火職人の信頼を得ることも難しいと考え、23歳のときから2年間、花火工場で修行を積んだ。

次のページ: 自然を活かした演出を

1 2 3 4