ハリマ化成グループ

次代への羅針盤

次代への羅針盤

楽観性がなければ
冒険も挑戦もできない

民間企業勤務、海外留学、大学教授、そして公的研究機関の研究員など、さまざまな道を歩んできた魚崎浩平氏。
今、自らの研究人生を振り返り、単線的な道より複線的な道を歩むことの重要性を説く。

Kohei Uosaki

魚崎浩平

国立研究開発法人科学技術振興機構 研究開発戦略センター 上席フェロー

オーストラリア留学を即決

 2010年、北海道大学を定年退職する最終講義で、私は学究生活を振り返って「四十数年間の彷徨」と表現しました。もちろん最初から彷徨するつもりでいたわけではありません。しかし、日本の多くのアカデミアの歩みと比べると、私の歩みは確かに彷徨のようなところがありました。

 1971年、大阪大学大学院の修士課程を修了した私は、多くの学生と同様、企業(三菱油化)に就職しました。しかし入社して3年目、最初の転機が訪れます。大学時代にお世話になった先生にたまたまお会いしたら、「オーストラリアへ行く気はないか」と声を掛けられました。米国や欧州ならいずれ行く機会があるかもしれないが、豪州に行ける機会はなかなかない。そう考えた私は、ほとんど何の情報もない状態で「面白そうですね、行きましょう」と答えていました。そして、南オーストラリア州立フリンダース大学の大学院に留学することになったのです。

 現地の空港で私を迎えてくれたのは、後に宇宙飛行士になった毛利衛さんでした。毛利さんは北海道大学で修士課程を終えた後、フリンダース大学に留学していたのです。

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