ハリマ化成グループ

伝説のテクノロジー

伝説のテクノロジー

吉田の火祭りを支える大松明づくり

松明(たいまつ)職人 和光信雄さん

俺がやらなければ、という使命感が駆り立てる

 和光さんは9歳のとき、初めて松明づくりに参加した。当時、松明づくりの親方をしていた祖父の銀太郎さんを手伝うためだった。その後、父親の信光さんが親方を務めていたときも含めて、和光さんはずっと松明づくりに取り組んできた。銀太郎さん以前の先祖のことは分からないが、少なくとも3代続いて松明づくりをしてきたことになる。松明とともに生き、吉田の火祭りを支えてきた人生である。

 「松明づくりは爺さんに叩き込まれた。大変と言えば大変だったけれど、別に苦労と思ったことはないね。祭りの日に嵐のような雨が降ったこともあったけれど、松明の火は消えなかった。松明がきれいに燃えるのを見れば、そりゃあうれしいね」

 2012年、その功績が認められ、和光さんは富士吉田市文化功労者に選出された。同年には吉田の火祭りが国の重要無形民俗文化財に指定され、昨年は富士山が世界遺産に登録された。このところ和光さんの周りでは慶事が続いた。

現役の和光さん(中央)と、作業場として工場を提供するなど、松明づくりを支える富士吉田木材流通センターの天野社長(左)と同流通センターの渡辺さん(右)。

 だが、松明づくりをめぐる環境は、悪化の一途をたどっている。1978年から松明づくりの作業場として工場を提供するなど、物心両面で和光さんたちを支えてきた富士吉田木材流通センター社長の天野多喜雄さんが言う。

 「30年以上、和光さんの仕事をそばで見てきましたが、大変なご苦労をされていますよ。吉田の火祭りのために誰が一番頑張っているのか…。このお年になってもやめないのは、俺がやらなければ、という使命感があるからですよ。実際、和光さんがやめたら松明づくりは行き詰まるでしょう。そうなれば火祭り自体、どうなることやら。そういう厳しい認識を持っている人が少ないことにも、私は危機感を抱いています」

 昨年はどうしても祭礼までに間に合いそうもないと思い、天野さんは初めて松明づくりを手伝った。だが、経営者として会社を切り盛りする天野さんは、一時的に手助けするのが精いっぱいだ。

 小学生を対象に、野外教室で松明づくりを教えたこともある。祭りの世話人に松明づくりを体験してもらったこともある。若い人が「松明づくりをしたい」と言ってくることもまれにある。だが、実際に作業に参加する者はほとんどいない。

 吉田の火祭りは今年も8月26日と27日に行われる。紅蓮の炎の向こうには、はたしてどんな未来が待ち受けているのだろうか。

わこう・のぶお 1933(昭和8)年生まれ。9歳のときに祖父・銀太郎さんを手伝って松明づくりに初めて参加。以来、70年以上にわたって吉田の火祭りの大松明づくりに献身してきた。真夏の作業は激しく体力を消耗するが、今も親方として現場を取り仕切る。暴飲暴食をしないのが健康の秘訣という。2012年度富士吉田市文化功労者。

0.9 MB

1 2 3 4