伝説のテクノロジー
吉田の火祭りを支える大松明づくり
松明(たいまつ)職人 和光信雄さん
黒子に徹し、真夏の作業に懸命に取り組む
しかも実は大松明の数そのものが、昔よりずっと多いのだ。大松明は氏子などが神社に寄進して奉納することになっている。一度奉納すると、多くの人や団体が翌年も奉納する。そのため大松明の数は年々増え続ける傾向にある。和光さんが若かった頃は40本以下だったという。今、松明に使うマキは5,000束と倍ほど必要だ。
その一方で松明づくりを担う職人は減り続けている。松明づくりに従事するのは年1回、1ヵ月程度にすぎない。生業にできる仕事ではない。だから職人はいずれも生業を別に持っている。和光さんも、もともとは大工職人だった。
昔は兼業農家などが多く、それでもやっていけた。だが近年はこの地域でもサラリーマンが多くなり、松明づくりのため1ヵ月仕事を休むというようなことのできる人はほとんどいなくなってしまった。そのためなり手がどんどん減り、高齢化が進んだ。今、松明づくりの職人は5~6人いるだけ。一番若い人でも60代だ。松明の数が少なく、職人も多かった頃は、お盆過ぎから松明づくりを始めても十分間に合った。今は7月の下旬から始めないと、とても追いつかない。富士山の麓とはいえ、夏の日差しはきつく、気温も上昇する。その中で高齢の職人たちが4~5人、汗みずくになりながら懸命に松明づくりに取り組んでいる姿を知っている者は、そう多くない。
「俺たちは黒子だから…」
そう言って、和光さんは多くを語らない。だが、もし松明をつくる職人がいなくなれば、吉田の火祭りはいったいどうなってしまうのだろうか。