
次代への羅針盤
失敗の観察から本質を見抜く力が養われる
大学卒業後、14年間、民間企業に勤めた小舟正文氏。
会社勤めをしながら社会人として大学院に通い、博士号を取得。
そして35歳のときに助手として大学教員に転じるという異色の道を歩んできた。
そして今年の3月、大学から離れた小舟氏は「わがアカデミア人生に悔いなし」と語る。
Masafumi Kobune
小舟正文
兵庫県立大学 名誉教授
目指すはオールマイティ技術者
私は2021年に兵庫県立大学を定年退官し、名誉教授になると同時に特任教授を拝命して講義や学生の研究指導を行ってきました。そして2026年3月、特任教授の任を終え、アカデミアでの学究生活に幕を下ろしました。こう書くと私がアカデミア一筋の人生を送ってきたと思われるかもしれませんが、そうではありません。私は、大学教員として極めて特異な道を歩んできたのです。
そもそも私は1978年に姫路工業大学(現兵庫県立大学)工学部を卒業したとき、進学せず民間企業に就職しました。この「次代への羅針盤」に登場された先生方の中にも、民間企業に勤務されたご経験を持つ方がいらっしゃいましたが、私の場合は14年間も企業戦士として働きました。
私が入社したのは、「この会社、大丈夫かな」と思うような、古びた工場しかない中小企業でした。でも今振り返ると、これが後の学究生活にとてもいい影響をもたらしたのです。中小企業は人手に余裕がありません。「私は化学屋だから機械や電気のことはわからない」などと言っていたら仕事になりません。機械でも電気でも、わからないこと、必要なことは何でも勉強しました。
この会社の河辺正社長は、科学技術庁長官賞を受賞したこともある著名な発明家でした。私はこの社長とマンツーマンで研究開発に取り組んだのです。
製品の営業は、その製品のことをいちばんよくわかっている開発者がすべきだというのが会社の考え方だったため、私は自分が開発に関わった電融マグネシアなどの売り込みのため世界を駆け回りました。今でいうセールスエンジニアのはしりです。
自分がつくったものは自分で計測し、必要に応じてアプリケーションソフトも自分でつくり、必要な治具や機械も基本的には自身で設計し、つくる。そういうことを続けているうちに、私はオールマイティな技術者を目指すようになっていました。