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伝説のテクノロジー

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ミシンが織りなす芸術性

横横振り刺繍 刺繍作家・大澤紀代美さん

「もう刺繍は無理です」

 けれども大澤さんは、あくまでも横振り刺繍にこだわった。「横振り刺繍をやり続けようという人はほとんどいなくて、その頃はもう風前の灯という感じでした。でも私はこれが好きで、桐生に残したい、途絶えさせてはいけないという思いが強かったんです」

糸を重ねて立体的に。枠には“KIYOMI”の文字が。道具には名前を書いて責任を持つ。

 こうして大澤さんは一層、横振り刺繍の技量向上に努めていく。するとその作品の素晴らしさが徐々に知られていき、1975年には横振り刺繍の業界で初めて個展を開催。1987年にはアパレル業界からの要請でコレクションの刺繍部門担当に選ばれ、ファッションデザイナーの小西良幸(ドン小西)さんや山本寛斎さんのパリコレなどで衣装の刺繍を担当し、世界のファッション界にその名を知らしめることとなった。「寛斎さんとはずいぶん喧嘩もしました。どの色の糸で縫うのがいいか、意見が分かれたりしてね。頭にきたので『だったら自分で縫ってみたらいいじゃない』と言ったこともありました。お互い、真剣勝負だったんですね。最後は信頼してくれて、刺繍については任せてくれるようになりました」

 実はこれより前の1973年に大澤さんは原因不明の病魔に襲われ、2年半に及ぶ闘病生活の末、左目を失明している。「もう刺繍は無理です」

 医師からはきっぱりそう言われた。これにはさすがの大澤さんも落ち込んだという。だが、そこからまた立ち直るのがこの人らしいところだ。「遠近感がなくなるので最初のうちは戸惑いましたが、今では全然気になりません。階段を上り下りするときなどはちょっと怖いですが、刺繍をしているときにはハンデを感じませんよ」

 そう言って笑う大澤さんによれば、横振り刺繍で最も重要なポイントは、糸の方向性だという。方向性に変化をつけることで陰影ができ、立体感が増すのだという。

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