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伝説のテクノロジー

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大地のロマンを表現する環境芸術としての陶壁

陶壁作家・藤原郁三さん

環境芸術には積極的な妥協が必要

 陶壁とは、その名の通り陶(焼きもの)でつくった壁のアートである。壁画が、壁に描いた絵だとすれば、陶壁は、壁そのものを造形したアートといえばいいだろうか。

「流れの死角」和の代温泉(栃木•1995年)

 もちろん壁は建築物の一部である。したがって陶壁もまた建築物の一部といえる。ここが一般の絵画や彫刻のような純粋芸術と、陶壁のような環境芸術との大きな違いだ。その点について藤原さんはこう指摘する。

「スカイブリッジ」澁澤シティプレイス(東京・1991年)

 「環境芸術は空間が主役であり、私はバックグラウンドアートといっています。建築空間の演出装置のひとつとして、焼きものの特性を活かして関わるのが陶壁の役割です。つまり、どういう空間を演出するかということが最初にあり、それに私たちは土の側から参加するわけです。だから作家の思い込みや個性を一方的に押し付けてはいけません。建築家や施主など大勢の人の協業でつくるのが環境芸術で、いわばそれは妥協の産物です。純粋芸術の世界では、妥協は、してはいけないこと、悪いことですが、環境芸術には妥協が必要なのです」

 より開かれた個性、より良い空間をつくるためにコラボレーションし、お互いに知恵を出し合い刺激し合う。そういう積極的な意味での妥協=協調が必要になるということだ。

 美術館に展示されている絵を見るのは、その絵を見るために訪れた人だ。つまり主体的な鑑賞者である。だが、建築空間にある陶壁を見るのは、その建築物を訪れた人であり、その人たちは必ずしも陶壁を見るために訪れたわけではない。むしろそうした主体的な鑑賞者は少数派だろう。別の用があってその建築物を訪れ、たまたま見たという人のほうが多いはずだ。しかも陶壁は建築物がある限り、ずっとそこにある。だから何年も何十年もそうした非主体的な鑑賞者の目にも耐えられるものでなければならない。陶壁作家は、そこまで配慮して制作しなければいけないというのが藤原さんの考えだ。

「白い大地(生命)」栃木県立博物館(栃木・1982年)

 しかし、だからといって藤原さんはただいわれるがままに作品をつくっているわけではない。藤原さんの陶壁にはすべてに共通した主題がある。それは河合氏がいった「壁は地球の断面」という原点につながるものだ。

「建築の壁面は、厚くてもせいぜい20センチくらいでしょう。でも、建築が擬似洞窟であるならば、大地の断面であるような無限の奥行きをイメージできる表現をしたい。大地のロマンを限られた建築空間の中でいかに表現していくか、そこは譲れないコンセプトです」

 実際、藤原さんの陶壁には、地層や大地の褶しゅう曲きょくなどを表現したものが多い。壁がめくれたなかの向こう側にもうひとつ別の世界があるかのような表現をした作品もある。

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